カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ / 投稿日付:2022/07/31 13:28
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またまた新シリーズ、大倉山を中心に港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」
初回のテーマは、大倉山の隣駅である「綱島」と温泉の歴史についてです。
横浜市港北区の綱島は鶴見川が流れ、渋谷や横浜にアクセスしやすい住宅街として有名ですが、
ここがかつて温泉街だったことをご存知でしょうか?
現に今ある東急東横線の綱島駅は、「綱島温泉」駅という駅名でした。(ちなみに来年3月より開業予定の「新綱島」駅、その駅名を決める公募で次に多く届いた案が「綱島温泉」駅だったそうです。)
いまの綱島からは想像もつきませんが、かつてこの地は三味線の音色が鳴り響き、着物を着た粋なお姐さんたちが歩く、小さな京都のような街でした。
その歴史を証明しているのが、綱島駅から綱島街道を歩いて橋を渡ったところにある「ラヂウム霊泉湧出記念碑」という石碑です。
大正3年のこと、樽町のお菓子屋「きねや」の主人、加藤順造さんが井戸を掘っていたところ、コーラのような茶色の水が湧き出しました。飲料水にもならないので、風呂で沸かして何日か入ると持病のリウマチがすっかり治ってしまったのです。
その水を専門家に分析してもらった結果、人に良い効能があることが分かり、そこから徐々に温泉街として発展していきました。
昭和30年には、温泉宿は80軒ほどあったとも言われています。当時は「東京の奥座敷」「関東の有馬温泉」とも呼ばれていたほどの盛況ぶりでした。
しかし昭和39年に新幹線が開通し、熱海や箱根に気軽に行くことができるようになってからは綱島の温泉街は衰退し、80軒あった宿も今では全て閉業しています。
住宅街となってからこの街に移り住んだ方も増え、ここが昔は温泉街だったことを知っている方も少なくなりました。
今年は、綱島温泉が発見されて90年、東横線の綱島温泉駅が綱島駅に改称されて60年という節目の年になります。綱島を訪れた際は、温泉街だった頃の歴史に思いを馳せながら街を巡ってみてはいかがでしょうか?
※参考文献:『わが町の昔と今 第八巻 港北区続編(とうよこ沿線編集室 発行)』他