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【港北の今と昔②】大倉山の天然スケート場
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/08/12 12:45

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港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」

今回は、暑い夏にぴったり(?)の、かつて
大倉山に天然氷を利用したスケートリンク場があったというお話です。

かつての港北区域では、人々は谷間の谷戸に集住していました。その北側斜面は一日中日が当たらず厚い氷が張っており、北綱島の飯田助太夫さんはこれを利用して明治の初期ごろから天然氷の生産と販売を始めました。

さらに、これを地場産業として根付かせようと、現在の港北区内の各地に製氷ノウハウを伝授したのです。

冷凍技術が今ほど優れていなかった当時、船舶に積み込まれる食品の保存には、大量の氷が必要とされていました。

横浜港に入港する外国人たちが盛んに氷を使うことに、飯田氏は着目したのです。

「氷は重い」「運搬するにはハマに近い地域がよい」その読みがズバリ的中し
「港北の天然氷」は地場産業としてヒットしたのです。

天然氷づくりは大正期までが最盛期でしたが、関東大震災による製氷設備の被害と機械製氷の普及により昭和に入ると廃れていきます。

さてここからが本題です。

1928(昭和3)年、大曽根町(現大曽根台)の冨川善三さんは、それまで天然氷を作る

氷場(こおりば)として使用していた池をスケートリンクに変えました。

これが「大倉山天然スケート場」のはじまりです。

池の広さによって、大小さまざまなリンクがそろった同スケート場は、次第に人気を呼んでいき、1936(昭和11)年には、現在の東急電鉄から融資の申し出を受け、広さ約1300平方メートルのスケートリンクにリニューアルしました。

営業は1月から3月までで、氷の状態によって休業する日も多々ありました。

このため大倉山駅には、2時間ごとに営業の可否を知らせる案内板が設置され、また沿線の他の駅でも、乗客の問い合わせに対応できるよう、大倉山駅からの連絡を随時受けられるような体制が整えられていたそうです。

なお、この時点での入場料は1時間25銭、現在の価格で400円程度

シーズンオフには、釣り堀やローラースケートをしようとしましたが、それは上手くいかなかったそうです。

東京渋谷の山王・虎ノ門・芝浦、鶴見などには屋内スケート場がありましたが、製氷に多くのエネルギーを使うため、戦争が始まり物資が不足してくると閉鎖されました。

しかし、「大倉山天然スケート場」は気候が寒ければ氷が張るので、戦時中もずっと営業を続けていました

そのこともあって、慶応大学の学生や海軍の兵隊たちを中心に、繁盛していたそうです。

1947(昭和22)年頃になると、暖冬の影響により惜しまれつつも廃業となります。

天然氷を使用した「大倉山天然スケート場」は、港北の地場産業となっていた製氷技術に支えられ、たくさんの人々に愛された人気スポットだったのです。

※参考文献:『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)他

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