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「株式会社日本ハウジングスタッフブログ」の記事一覧(110件)

年末年始 休業日のお知らせ
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/12/25 09:04



12月28日午後より1月5日まで、年末年始の休業日となります。

本年も皆様にお引き立て頂き、誠にありがとうございました。

【税の豆知識⑤】長期譲渡所得とは?
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/11/24 15:06

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。不動産の「税金」にまつわる役立つ知識をお届けする「税の豆知識」シリーズ。今回のテーマは「長期譲渡所得」です。

 

税の豆知識②でも紹介しましたが、個人が土地や建物を売却して利益が出た場合、その売却益の額に応じて所得税や住民税などの税金が課せられます。このことを「譲渡所得」と呼んでいます。

今回は、不動産売却の際、タイミング次第では節税になることを知っていただくために、売却益に課税される譲渡所得税の中でも、特に「長期譲渡所得」に焦点を当てて解説していきます。

■譲渡所得の区分け
不動産を売却した際、発生する「譲渡所得」には2つの区分があります。売却した不動産を、5年を超える長期にわたって所有していた場合は「長期譲渡所得」となり、所有期間5年以下の場合は「短期譲渡所得」となります。売却する不動産の所有期間が長期か短期かによって譲渡所得税の税率が変わってきます。

■経過年数の判断
不動産の所有期間については、譲渡(売却)した年の1月1日の時点で何年所有していたかを判断します。譲渡が1月であっても12月であっても、その年の1月1日時点までの経過年数が所有期間となるのです。

下記の図を参考に説明しますと、たとえば、2017年(平成29年)4月21日に購入した不動産を2022年(令和4年)12月1日に売却した場合、この年の4月21日で所有して満5年を超えていても、売却した2022年(令和4年)の1月1日時点では5年を超えていないため、長期譲渡所得とはなりません。この例で2023年(令和5年)1月1日以降に売却した場合には長期譲渡所得となります。


長期・短期譲渡所得それぞれの税率


長期譲渡所得の20.315%に対して短期譲渡所得となった場合は、39.63%と倍近い税率になってしまうことが分かります。

■なぜ長期譲渡所得と短期譲渡所得でこれだけ税率が変わるのか?
これは短期的な保有期間での売却は投機的な意味合いで売却されることもあり、相場を逸脱した価格高騰の恐れが出てきます。 短期譲渡所得に関する税金を高くすることで投機的な取引を抑制するためでもあるのです。

■10年以上所有していたマイホームは税率が低くなる!
基本的に長期譲渡所得の場合は、前述した税率が適用されますが、例外もあります。10年を超える期間にわたって所有していたマイホームの売却については、要件が満たされれば軽減税率の特例の対象になるため、さらに税率が低くなるのです。

特例の制度を受けるための主な要件は、以下の通りです。
・売却した年の1月1日現在でそのマイホームの所有期間が10年超であること
・売却するマイホームは国内にあること
・土地建物とも10年超所有したものであること
・親子、夫婦など特別な関係者への売却でないこと
・居住用財産の3000万円特別控除を除く指定された特例を受けていないこと

この要件を満たしている場合、課税譲渡所得の6000万円以下の部分に関しては、税率が14.21%、6000万円超の部分については20.315%となります。「居住用財産の3000万円特別控除」と組み合わせれば、大幅な節税につながりますので、条件を満たしている場合は活用したいところです。(ただし、居住用財産の3000万円控除の特例を利用した場合、住宅ローン控除が利用できなくなりますので、売却して新居に買い換えするときには注意が必要です。)

■まとめ
不動産を売却した際の所得税・住民税については今後増税の可能性があり、少しでも節税のための知識を身につけておくことが大切です。今後も皆様にとって役立つ知識をお届けできればと思います。

※本内容は、2022年11月現在の法律に基づき作成されております。
正確な情報は国税庁のホームページ等でご確認ください。

【港北の今と昔⑤】樽町の菖蒲園
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/10/20 13:33

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」今回は「樽町」がテーマです。

 

樽町地区は港北区の東部に位置し、東は鶴見区駒岡に接し、西は東横線や綱島街道のあたりで大曽根に接しています。

地名の語源には、
①師岡熊野神社に御神酒を入れた樽を奉納したから
②鶴見川が氾濫すると樽に水を張ったようにいつまでも水が退かないから
③南側の丘陵が切り立っており、そこから滝のようなわき水が出る地形から
「タル(垂)」に樽の字を当てたなど諸説あります。

樽町には、「菖蒲園前」というバス停や交差点、しょうぶ公園」という公園が存在しますが、実際に菖蒲園はありません。

◆かつて樽町に存在した綱島菖蒲園
以前の記事「綱島と温泉の歴史」で紹介した通り、大正から昭和初期にかけての綱島は、温泉街として賑わっており、「綱島温泉」駅周辺の開発が進んでいました。

東急電鉄は、鶴見川の対岸である樽町側も発展させようと、昭和8年、樽町に「綱島菖蒲園」を開設しました。(樽町にあっても綱島の名が付けられました。)水田約4000平米に約5万株の菖蒲が植えられていたそうです。

菖蒲とは、正しくは「花菖蒲(ハナショウブ)」という植物名で、ノハナショウブから改良されて作られた園芸品種です。江戸時代中期には菖蒲の品種改良が始まっていたというくらい、古くから日本で愛されてきました。菖蒲は湿地や草原を好み、花が咲くのは初夏、梅雨に入る前の5月上旬から中旬頃です。

「綱島菖蒲園」の歴史は大変短く、開設から約5年、昭和13年6月の大洪水の被害により閉園したといわれています。短期間の開設でしたが、今でも交差点やバス停の名に菖蒲園前としてその名を留めていることから、樽町の人たちの心に深く刻まれたことがわかります。

ちなみに昭和49年開校の「市立樽町中学校」は、菖蒲園にちなんで校章に菖蒲の花をかたどっています。

◆まとめ
地名には様々な由来があり、遡ってみると意外な歴史に辿り着くことができます。これからも大倉山を中心に港北区の歴史を掘り下げていきたいと思います。

※参考文献:『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)他

現地販売会のお知らせ
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/10/09 14:08

こんにちは!日本ハウジングです。

本日10月9日(日)明日10日(月) の10:30~16:00まで、
海老名市 中新田 にて 新築戸建住宅の現地販売会を実施しております。



小田急小田原線 JR相模線 厚木駅 より駅から平坦で徒歩6分、周辺は閑静な住宅街です。

皆様のご来場をお待ちしております。



物件の詳細はこちら

【港北の今と昔④】太尾から大倉山へ
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/09/28 10:47

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。
港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」今回は「大倉山」がテーマです。

大倉山駅は当初、太尾町の町名から名付けられた「太尾」という駅名で、1926(大正15)年2月14日の東横線開通と同時に開設されました。
(その6年後、1932(昭和7)年4月9日の大倉精神文化研究所のオープンに合わせて、「大倉山」駅に改称します。)

◆太尾の由来
そんな「太尾」の地名は、地形から名付けられた歴史の古い地名です。師岡方面から鶴見川の手前まで続く丘陵部分が、動物の太い尾のような形に見えたことから「太尾」と名付けられたといわれています。

 

昔の地図を見ると、縄文時代の横浜市北部は、半分は海の底で、半分はリアス式海岸の体を成していました。綱島に関しては、本当に「島」だったことがわかります。

 

◆水害の多かった大倉山
大倉山地区は港北区域のほぼ中央に位置しており、西は鶴見川に接しています。

治水対策が施される以前の鶴見川は氾濫を繰り返しており、別名「暴れ川」と呼ばれていました。

昭和13年の大水害をはじめ、大倉山はとくに水害の多かった地域です。これは東横線沿線の中でも開発が遅れた理由とされています。

◆大倉山の発展
東横線の開通と綱島街道の整備により、人と物の流れが徐々に変化していきます。昭和30年代ごろには、工場が増えて社宅が次々と建てられるようになります。

1978(昭和53) 年には、区役所総合庁舎が菊名から現在の大豆戸町に移転したことから、大倉山駅がその最寄り駅となりました。

やがて狭い道路は拡幅され、1984 (昭和59) 年に東口の商店街がレモンロードとなり、 1988(昭和63) 年に西口商店街がエルム通りへと改装されて、近代的な商店街、高級住宅地へと変貌を遂げました。

◆町名の変更
現在の大倉山一丁目から七丁目も元々は太尾町といいましたが、2007(平成19)~2009(平成21)年にかけて町名変更されました。歴史ある「太尾」の名を残そうと、町名変更には反対の声も多々あったそうです。

2014(平成25)年には、大倉山駅や太尾公園などを含む「太尾地区」が「大倉山地区」と名称を変更しました。

◆まとめ
「太尾」駅が「大倉山」駅に改称してから今年でちょうど90年。太尾神社や太尾小学校をはじめ、大倉山には今でも至る所に太尾の名が残っています。

町の歴史を学んでいくと、また新たな一面を知ることができ、愛着が増すものです。

これからも大倉山を中心に港北区の歴史を掘り下げていきたいと思います。

※参考文献:『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)他

【税の豆知識④】固定資産税とは?
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/09/19 13:13

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。

不動産の「税金」にまつわる役立つ知識をお届けする「税の豆知識」シリーズ。
今回のテーマは「固定資産税」です。


固定資産税とは、毎年1月1日現在、固定資産課税台帳に登録されている土地・家屋の所有者に課税される地方税です。
不動産取得税などのように一回で終わる税金ではなく、不動産を保有している限りずっと支払い続けなければならない税金です。
不動産をお持ちの方は、固定資産税についてはしっかりと理解しておくことが重要です。

固定資産税額は、3年に1度市町村により評価された固定資産税評価額を基準とし、『課税標準額』が決定され、その額に税率(通常1.4%)をかけて算出します。(固定資産税には1.4%という基準はあるものの、自治体の判断によって異なる税率を定めることが可能です。)

固定資産税評価額が3,000万円と計算された場合、固定資産税は「3,000万円×1.4%」=42万円になります。

固定資産税には住宅用地の課税標準の特例・新築住宅に対する減額措置があります。

■住宅用地の課税標準の特例
固定資産税の算出のうち、土地部分について「住宅用地」と評価することが出来るものについては、一定の軽減措置を受けることが出来るようになっています。

住宅用地には土地のすべてが居住する敷地の「専用住宅」と、一部が居住する敷地となっている「併用住宅」があり、併用住宅は居住部分の割合により住宅用地を割り出します。


また住宅用地は、土地の面積によって「小規模住宅用地」と「一般住宅用地」に区分され、適用される特例率が次の表のように異なります。どちらも課税床面積の10倍までが上限です。


■新築住宅の場合の軽減措置
土地だけではなく、建物についても軽減措置が設けられています。

令和6年3月31日までに新築された住宅については、次の要件を満たせば、3年間(地上階数3以上の中高層耐火建築物については5年間)にわたって固定資産税が2分の1に減額されます。



■その他の軽減措置
以上でみてきたように、固定資産税は毎年発生する税金であるため、少しでも固定費用を少なくするために、この他にも減税手段が用意されています。

例を挙げると、
・要安全確認計画記載建築物の耐震改修に伴う固定資産税の減額
・バリアフリー改修に伴う固定資産税の減額
・住宅の省エネ回収を行った場合の固定資産税の減額
・サービス付高齢者向け賃貸住宅の固定資産税の減額

このように、多くの固定資産税のための減税措置が用意されていますので、少しでも有利な減税を受けたいとお考えの方は、是非専門家にご相談してみてはいかがでしょうか?

■まとめ
今回は、不動産の主たる税の一つとして固定資産税の基礎知識について解説をさせて頂きました。


固定資産税は不動産を保有すると毎年発生する税金となりますので、正しく理解をして賢く節税をするようにしましょう。今後も皆様にとって役立つ知識をお届けできればと思います。

※本内容は、2022年9月現在の法律に基づき作成されております。正確な情報は国税庁のホームページ等でご確認ください。

【港北の今と昔③】日吉と慶應義塾の歴史
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/09/08 17:23

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。

港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」今回は「日吉」がテーマです。

港北区の「日吉」と聞いて多くの方が思い浮かべるのは、慶應義塾大学のある学生街でしょう。また、日吉駅は東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインの3沿線が利用可能で、都心にも横浜方面にもアクセス抜群の場所でもあります。

そんな日吉はもともと山林に覆われ田畑の広がる農村そのものでした。


◆日吉駅の開業
1926(大正15)年、東京横浜電鉄(現・東急東横線)の丸子多摩川(現・多摩川)駅から神奈川駅(反町駅と横浜駅の間に存在していた駅、現在は廃駅)の間が開通するとともに、「日吉」駅は開業しました。

この工事のスタートが日吉であったため、日吉駅の近くには「東急電鉄発祥之地」の記念碑があります。

ちなみに、多摩川の新丸子駅から日吉駅に至る線路は水田を埋め立てて敷設したもので、その埋め立てに使われた土の多くは日吉の丘のものでした。


◆住宅地・日吉台の開発
東京横浜電鉄は日吉駅周辺で住宅地「日吉台」を開発します。

この「日吉台」は同時期に分譲された「田園調布」と同様に、イギリスの経済学者ハワードが提唱した「田園都市」の思想を受けて開発されたもので、現在も残る放射状の道路は当時の計画によるものです。

この「日吉台」ですが、1923(大正12)年の関東大震災から復興が進み、他県に避難していた人が都心や都心郊外に戻ってきたことが相まって、都心から遠い日吉は住宅地として全く売れない状態でした。


◆慶應義塾の誘致
大正時代の中頃から学生数が増大し、三田キャンパスだけでは手狭になっていた慶應義塾一部移転を昭和初期から検討していました。

そこへ五島慶太氏(東京横浜電鉄代表、後の「東急グループ」創始者)は、1928(昭和3)年、日吉台の土地約7万2千坪を無償提供すると申し出たのです。

「東京急行電鉄50年史」によると、この頃の地価は1坪(3.3㎡)=10円。
つまり72万円の「寄付」ということになり、当時の年間運賃収入51万円を遥かに超えています。

小田原急行電鉄や箱根土地株式会社などからも名乗りがありますが、慶応義塾はこの五島氏の申し出を受け、日吉の地に購入分・借地・無償提供分を合わせ、約13万坪を確保。

1934(昭和9)年に慶應日吉キャンパスを開校させました。実測で約43万㎡の大キャンパスです。


日吉は「慶応ブランド」によって一躍人気となり、大学の移転前後で、分譲地の地価は2.5倍に高騰しました。

また、五島氏は慶応だけではなく、東京工業大学、日本医科大学、東京府立高等学校(後の都立大学)、東京府青山師範学校(後の学芸大学)に対しても移転支援を行い、東横沿線は学園都市として付加価値が高まっていきました。


◆まとめ
山林に覆われた農村であった日吉が学園都市として発展を遂げたのは、一人の実業家の手腕によるものでした。

来年から相鉄線との相互乗り入れ直通運転も開始され、ますます交通利便性が向上する日吉の街が今後どう変わっていくのか楽しみですね。

※参考文献:『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)他

大曽根商店街に遊び心満載の立ち飲みバーがオープン!
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/08/29 14:22

本日は弊社管理物件の店舗の紹介です。

今月17日、大曽根商店街にオープンした『オークラヤマサワーくらぶ』は、「せんべろ」スタイルのオシャレな立ち飲み屋さんです。

 

 


昔懐かしの「ドンジャラ」を1,000円で3つ購入し、飲み物や食べ物と交換するシステムがユニークで、店主のこだわりを感じます。




ドンジャラは"キープ"もできるそうで、既にたくさんのキープジョッキが並んでいました!

 


オススメは瀬戸田レモンサワーや自然派ワイン、そして発酵食材をメインにしたお料理の数々。



メニューはその日によって変わるそうなので、ぜひ直接足を運んでチェックしてみてください!

オークラヤマサワーくらぶ
住所 横浜市港北区大曽根1-14-16
営業時間 11:00~23:00
定休日 日曜日

【税の豆知識③】不動産取得税とは?
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/08/28 15:38

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。
不動産の「税金」にまつわる役立つ知識をお届けする「税の豆知識」シリーズ。

今回のテーマは「不動産取得税」です。

不動産取得税とは、土地や建物の不動産の取得に対して1度だけかかる税金(地方税)です。

不動産取得税 = 固定資産税評価額×税率(4%)
標準税率は土地or建物・住宅or非住宅問わず、一律4%です。

不動産取得税には税率の軽減措置があり、令和6年3月31日までの取得について、
土地と住宅用家屋の場合はすべて3%となります。


■新築住宅の場合の軽減措置
新築住宅の取得については、固定資産税評価額から1,200万円控除されます。

新築住宅の不動産取得税額 = (固定資産税評価額 - 1,200万円 )×3%

条件としては、床面積50㎡以上240㎡以下の居住用であれば対象となります。

<2,500万円で新築した場合>
  (固定資産税評価額を6割として考えると)固定資産税評価額:1,500万円
  (1,500万円 - 1,200万円)× 3% = 9万円

控除を受けることで1,200万円 × 3% = 最大36万円もお得になります。

<2,000万円で新築した場合>
  (固定資産税評価額を6割として考えると)固定資産税評価額:1,200万円
  (1,200万円 - 1,200万円)× 3% = 0円

この場合は不動産取得税を支払う必要がありません。

※長期優良住宅の場合は、評価額から1,300万円控除されます。



■中古住宅の場合の軽減措置
中古住宅の場合は、築年数によって控除額が定められています。

中古住宅の場合でも、
最大で36万円(1,200万円×3%)が軽減されることになります。



■住宅用土地の軽減措置
住宅用土地の場合にも、軽減措置が適用されます。

住宅用土地の不動産取得税額 
固定資産税評価額×2分の1(宅地評価土地に係る課税標準の特例措置)×3% - 軽減額 


軽減額は、下記いずれかの高い額です。
①4万5,000円
②土地1㎡あたりの価格×2分の1(※1)×住宅の床面積の2倍(上限200㎡)×税率(3%)

条件は以下の通りです。

①新築した住宅が前述の不動産取得税の軽減要件を満たすこと。(床面積50㎡以上240㎡以下)

②次のいずれかに該当すること
 ・土地を取得して3年以内に住宅を新築した
 ・住宅を新築後、1年以内にその敷地を取得した
 ・新築後1年以内の新築未使用の住宅とその敷地を取得した
  ※建売住宅の購入はこれに該当します。


■まとめ
一般的な規模の住宅であれば、不動産取得税には軽減措置が適用され、税金を支払わなくていいケースが多くなります。軽減措置を受けるには建物・土地の場合でも、それぞれに申告が必要です。正しい手順を踏んで、もれなく軽減を受けるようにしましょう。

今後も皆様にとって役立つ知識をお届けできればと思います。

※本内容は、2022年8月現在の法律に基づき作成されております。
正確な情報は国税庁のホームページ等でご確認ください。

【港北の今と昔②】大倉山の天然スケート場
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/08/12 12:45

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。

港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」

今回は、暑い夏にぴったり(?)の、かつて
大倉山に天然氷を利用したスケートリンク場があったというお話です。

かつての港北区域では、人々は谷間の谷戸に集住していました。その北側斜面は一日中日が当たらず厚い氷が張っており、北綱島の飯田助太夫さんはこれを利用して明治の初期ごろから天然氷の生産と販売を始めました。

さらに、これを地場産業として根付かせようと、現在の港北区内の各地に製氷ノウハウを伝授したのです。

冷凍技術が今ほど優れていなかった当時、船舶に積み込まれる食品の保存には、大量の氷が必要とされていました。

横浜港に入港する外国人たちが盛んに氷を使うことに、飯田氏は着目したのです。

「氷は重い」「運搬するにはハマに近い地域がよい」その読みがズバリ的中し
「港北の天然氷」は地場産業としてヒットしたのです。

天然氷づくりは大正期までが最盛期でしたが、関東大震災による製氷設備の被害と機械製氷の普及により昭和に入ると廃れていきます。

さてここからが本題です。

1928(昭和3)年、大曽根町(現大曽根台)の冨川善三さんは、それまで天然氷を作る

氷場(こおりば)として使用していた池をスケートリンクに変えました。

これが「大倉山天然スケート場」のはじまりです。

池の広さによって、大小さまざまなリンクがそろった同スケート場は、次第に人気を呼んでいき、1936(昭和11)年には、現在の東急電鉄から融資の申し出を受け、広さ約1300平方メートルのスケートリンクにリニューアルしました。

営業は1月から3月までで、氷の状態によって休業する日も多々ありました。

このため大倉山駅には、2時間ごとに営業の可否を知らせる案内板が設置され、また沿線の他の駅でも、乗客の問い合わせに対応できるよう、大倉山駅からの連絡を随時受けられるような体制が整えられていたそうです。

なお、この時点での入場料は1時間25銭、現在の価格で400円程度

シーズンオフには、釣り堀やローラースケートをしようとしましたが、それは上手くいかなかったそうです。

東京渋谷の山王・虎ノ門・芝浦、鶴見などには屋内スケート場がありましたが、製氷に多くのエネルギーを使うため、戦争が始まり物資が不足してくると閉鎖されました。

しかし、「大倉山天然スケート場」は気候が寒ければ氷が張るので、戦時中もずっと営業を続けていました

そのこともあって、慶応大学の学生や海軍の兵隊たちを中心に、繁盛していたそうです。

1947(昭和22)年頃になると、暖冬の影響により惜しまれつつも廃業となります。

天然氷を使用した「大倉山天然スケート場」は、港北の地場産業となっていた製氷技術に支えられ、たくさんの人々に愛された人気スポットだったのです。

※参考文献:『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)他

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