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【港北の今と昔⑤】樽町の菖蒲園
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2022/10/20 13:33

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」今回は「樽町」がテーマです。

 

樽町地区は港北区の東部に位置し、東は鶴見区駒岡に接し、西は東横線や綱島街道のあたりで大曽根に接しています。

地名の語源には、
①師岡熊野神社に御神酒を入れた樽を奉納したから
②鶴見川が氾濫すると樽に水を張ったようにいつまでも水が退かないから
③南側の丘陵が切り立っており、そこから滝のようなわき水が出る地形から
「タル(垂)」に樽の字を当てたなど諸説あります。

樽町には、「菖蒲園前」というバス停や交差点、しょうぶ公園」という公園が存在しますが、実際に菖蒲園はありません。

◆かつて樽町に存在した綱島菖蒲園
以前の記事「綱島と温泉の歴史」で紹介した通り、大正から昭和初期にかけての綱島は、温泉街として賑わっており、「綱島温泉」駅周辺の開発が進んでいました。

東急電鉄は、鶴見川の対岸である樽町側も発展させようと、昭和8年、樽町に「綱島菖蒲園」を開設しました。(樽町にあっても綱島の名が付けられました。)水田約4000平米に約5万株の菖蒲が植えられていたそうです。

菖蒲とは、正しくは「花菖蒲(ハナショウブ)」という植物名で、ノハナショウブから改良されて作られた園芸品種です。江戸時代中期には菖蒲の品種改良が始まっていたというくらい、古くから日本で愛されてきました。菖蒲は湿地や草原を好み、花が咲くのは初夏、梅雨に入る前の5月上旬から中旬頃です。

「綱島菖蒲園」の歴史は大変短く、開設から約5年、昭和13年6月の大洪水の被害により閉園したといわれています。短期間の開設でしたが、今でも交差点やバス停の名に菖蒲園前としてその名を留めていることから、樽町の人たちの心に深く刻まれたことがわかります。

ちなみに昭和49年開校の「市立樽町中学校」は、菖蒲園にちなんで校章に菖蒲の花をかたどっています。

◆まとめ
地名には様々な由来があり、遡ってみると意外な歴史に辿り着くことができます。これからも大倉山を中心に港北区の歴史を掘り下げていきたいと思います。

※参考文献:『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)他

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