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【港北区の今と昔⑥】大倉山駅前の再開発
カテゴリ:株式会社日本ハウジングスタッフブログ  / 投稿日付:2023/09/02 10:44

いつも日本ハウジングのホームページをご覧いただきありがとうございます。港北区の歴史を辿る「港北の今と昔」今回は「大倉山駅前」がテーマです。

大倉山地区は太尾、大曽根、師岡などの緑の丘陵とそれに囲まれた平地、西方に流れる鶴見川、自然豊かな住環境に恵まれています。


◆昭和40年代~50年代の大倉山駅前
高度経済成長期に入ると宅地化が進み、人口は急激に増加していきました。ですが、幹線道路は駅前を通って山裾を東西に走る狭いバス通りが一本だけ。50年代の道路事情は最悪でした。
住民の車、通過車両、バス、タクシー、自転車の増加により歩行者は安心して通りを歩けない状況でした。


◆街の変化

そんな実情を憂えた地元の方が「安心して歩ける街にして欲しい。これをその足しに」と商店街に寄付したのです。

これに奮い立った商店街の店主たちは交通の障害となるものを各店が率先して整理するなど、みんなが力を合わせて動き始めました。

街が一致団結して行動した事で商店街の役員の方々が市に協力を要請し、その後紆余曲折を経てついに昭和56年度、県の事業として採択され神奈川県初の商業近代化事業の工事が始まりました。


◆駅前の再開発
道路拡幅で車道と歩道分離、商店街の景観の改善のため、電柱の撤去、電線・電話線の埋設工事、東横線ガード拡幅、駐輪場1,000台新設、全店舗の改築などを実現し、同商店街の念願が叶い大倉山の駅前は変化を遂げていきました。

〈昭和56年との対比〉




           ↓


街の玄関口、駅もイメージチェンジ、東横線ガードは5.5㍍幅から16㍍へと約3倍にも広がった


道路両側は1.5㍍づつ広がり歩道を新設し車道と分離させた


◆まとめ
写真を比較すると昔と今では大きく変化しているのが分かりますね。
いつも何気なく通り過ぎていた風景が歴史を知ることで今までと違った見方になっているのではないでしょうか。

これからも大倉山を中心に港北区の歴史を掘り下げていきたいと思います。

参考文献:『わが町の昔と今 第8巻 港北区続編』

(「とうよこ沿線」編集室発行 2004年4月)他

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